福岡県三輪中のいじめ自殺の新聞やテレビの報道を見聞きする度に、なんともいえぬやりきれなさを感じる。むかむかする。
ここ数日は、中1時の担任のあきれた言動にスポットが当てられているようだ。
そこで気になるのは、いじめた生徒の報道がほとんど見えないことだ。ズボンを腰まで下げたとかいう、許されぬ行為の報道は少し見たが、どういう状態にいるのか知りたい。
申し訳ないことをした、と反省しているのかどうかだ。一生かかっても償えないことをしてしまった、という自覚があるかどうかだ。死んで侘びたいという、気持ちがあるかどうかだ。
法律の壁で、加害者の名前は一切出せない。しかし、実質は殺人ではないか。人を殺しておいて、何の処罰もされず、のうのうと生きていけるのか。
私は、小学生の時いじめられた。もう恨みはないが、やられたことは決して忘れることはない。
学校、教育委員会、マスコミ等、日本の社会は、どうもいじめの加害者の人権を守り過ぎるように思えてならない。被害者は命を無くしているのだ。命の重さと加害者の人権とどっちが重いのか。どうしても私には納得できない。いじめた生徒に人間の心がひとかけらでもあるのなら、自らがやったことを、死んだ生徒の両親と、関係者にすべて話し、仏様になってしまった友人に心から詫びて欲しい。相手の両親からは、どやしつけられるだろう。いや殺されてもいいぐらいに腹をくくって、頭を床にこすりつけて謝ってみろ。彼らの親も、勇気を持って名乗り出るべきではないか。加害者の親は、どういう気持ちでいるのだろうか。
2006年10月17日
この記事へのトラックバック
最近こんなニュースばかりで本当に心苦しいです。私は塾の事務をしてましたが、最近の子は面と向かって聞こえるように悪口を平気で言いますね。陰口は勿論嫌ですが、聞こえるようにみんなの前で言われるのはもっと嫌。ましてや塾は他校の子もいる。あたしも注意の仕方が分からないのと、事務という直接関わらない位置に戸惑いました。